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フアナ1世 (ナバラ女王) : ウィキペディア日本語版
フアナ1世 (ナバラ女王)[ふあな1せい]

フアナ1世スペイン語Juana I1271年頃 - 1305年4月4日)は、ナバラ女王およびシャンパーニュ女伯(在位:1274年 - 1305年)。シャンパーニュ伯としてはジャンヌフランス語Jeanne)。エンリケ1世とその妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワルイ9世の弟・アルトワ伯ロベール1世の娘)の一人娘。後にフランスフィリップ4世の王妃となった。
1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王フィリップ3世に庇護を求めた。1284年8月16日にフアナは王太子フィリップ(後のフィリップ4世、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後およそ半世紀にわたってナバラとフランスは同君連合となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後のルイ10世)、フィリップ(フェリペ、後のフィリップ5世)、シャルル(カルロス、後のシャルル4世)、イザベル(イサベル、イングランドエドワード2世妃)らをもうけた。
1305年にフアナは死去、セーヌ左岸のに埋葬された。ファナの死因はその状況が不可解なものだったため、フィリップ4世によって暗殺されたのだと主張する歴史家もいる。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フアナ1世 (ナバラ女王)」の詳細全文を読む



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